西翔記(さいしょうき)

私の日々の生活での記録、記憶書(アウトプット)の場です。

現コロナ禍で。

河西です。現コロナ禍で。

 

結局、私思うンスよ。

 

この国に政治家なんていなくていい。

 

天皇も国会議事堂も全員、庶民化すれいい。

 

その時に「偉い」とか貶す言葉は使用禁止にする、なぜってその一言から、階層社会から格差社会になるンㇲから。

 

集団生活の人間が、唯一無比の最弱点、それは…一人になることなンすよ。哀れなことに。

 

ここからとりわけ人間の消えゆかねば生き残れない性についてなンすけどね、偉くなれば、誰もが心から『自分は選ばれた存在なんだ。自分以外のだれにも・・・』

これは、権力と地位を独占したものにしかわからず、ある者はそれらに慄き、ある者はそれらに対して傲慢と偏見を持つようになる。

 

周囲からその者の存在理由から崇拝の目を向ける理由に至るまで理解不能となった場合、その者から離散していく。たったそれだけで偉くなった者は容易く命を落とすまでの絶望を味わい、離散した者に対抗しようなんてことは「もう、自分には無理だ」って悟り独で死んでいくンす。

 

それが今、現実味を帯びてきているンす。コロナなんて、ただ私が「人間はそこまで堕ちたのか」と何とも言えぬ無力さに駆られて今に至ってるンす。

 

普通、いや、俗に言う品行方正に正しく生きている人間には恐れるには足りないと思うンす。

それとは真逆な、権力に溺れ、地位に溺れ、ついには財、にも、周囲の恵まれた人間関係にも満足できない者にコロナなどは縋り付くンす。

何とも哀れで悲しき存在。

 

結局のところ、かの、宮沢賢治の人間像にしかならねば、刻一刻と人間の行いの判で地球崩しが始まるンすよね。

雨ニモマケズ

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体をもち

慾は無く

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きしわかり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと言い

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

 

(原文)

雨ニモマケズ

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラツテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ

終末時計2021年 1分40秒前変化なし 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の歴史的な蔓延。各国政府、国際機関が核兵器や気候変動という文明を終わらせる真の脅威に対応する準備ができず。

これが理解できてもできなくても、諦めの悪い妙な人間の最果てはもうすぐです。