西翔記(さいしょうき)

私の日々の生活での記録、記憶書(アウトプット)の場です。

怪盗 山猫 最終話 武士道と現代日本

どうも、明日をどう生きるか?

なんて難いことを考えている河西です。

 

今回は伏線も伏線回収も結末も理解に苦しむ、2015年?ドラマ「怪盗 山猫」について書いてますが、腑に落ちる以前にこの作品は何を訴えたかったがわかりづらすぎる作品でした。

 

『今の日本を変えたい?

 

それがお前の、望か?

 

今の日本は、裕福なんだよ。

 

裕福になりすぎた。

 

だから、結城天明(ゆうきてんめい)は、こうしようとした。

 

裕福を維持しようと・・・・・・・。

 

明日の国民を笑顔にしていくため・・・。

 

肉体は亡くともネット世界で生きながらえてきた。

 

AI人工知能で…。

 

お前のコア(核)、譲れないものはあるのか?』

 

多分↑は仲間でしょうね。ともに日本を変えようとした。

 

それしか答えが出ない。

 

ここまで来て、これ以上、何も考えられない、結末は久方ぶりですね。

 


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ラストに、現代日本に対する江戸日本の吉田松陽(銀魂)の武士道を載せて締めくくります。すんません。

 

君も道に迷ってここに流れついたんでしょう 私もそうです未だに迷っている それでいい…悩んで迷って 君は君の思う侍になればいい

人は思ったより自由です

 

たとえ氏も素性もしれなくとも たとえ護る主君も戦う剣をもたなくとも それぞれの武士道を胸に掲げ それぞれの侍になることは出来る

 

勝者が得るのは自己満足と慢心くらいなものです 敗者(きみ)はそんなものより意義のあるものを勝ち得たんですよ

 

他人におびえ自分を護るためだけにふるう剣なんてもう捨てちゃいなさい
(幼い銀時に自分の刀を渡して)これからはその剣をふるいなさい
敵を斬るためではない
弱き己を斬るために
己を護るのではない
己の魂を護るために

人は生まれながらに弱さを抱えて生まれてくる生き物です。
それは人格的な欠陥かもしれない。容姿であるかもしれない。生まれた境遇かもしれない。
誰もがそれぞれ折り合いのつかない自分を抱え苦しんで生きている。
残念ながらその苦しみから逃れる術はありません。
ですが抗う事に苦しむ事もできる。
自分の弱さに翻弄され苦しむだけではない。
自分の弱さと向き合い、抗い、変わろうと苦しむ事もできる。

 

武士道とは何も国や主君に忠節を尽くす道だけを指すのではなく、弱き己を律し、強き己に近づこうとする意志、自分なりの美意識に沿い精進するその志をさすのです。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。

では、失礼します。

また、乞うご期待。