西翔記(さいしょうき)

私の日々の生活での記録、記憶書(アウトプット)の場です。

剣道の稽古で夢中になったら… 剣道の稽古#10

こんばんは。

 

河西です。

 

剣道の稽古から帰ってきて晩飯を済ませて、シャワー(ぬるい水シャワー)を浴び、現在に至ってます。

 

今回の稽古、新しき自己の発見がかなり鮮明に出ました。

 

体験談そのものからだとわかる方がおられれば、での話ですが

 

稽古最後の切り返しの練習中、ま、基礎練習の意味もあるので、先生相手に真剣に無我夢中で竹刀を振り前へ前へ、進むと不思議と実感したのです。

自分にしか見えない、自分をまとう熱いオーラを。

気づけば、

「俺はここまで夢中になったのは久方ぶりだけどなんで今?」

と思い返すも、次は後ろへ引きながら竹刀を振り下ろす刹那、徐々にその私をまとうオーラは弱くなっていき、また、前へ前へと前進とうしろうしろと退きながらも、そのオーラははっきりと見えました。

その後竹刀を収めたあと、そのオーラは、フッと消えました。

 

自分でも久方ぶりでしょうか。

 

おそらく自己に、一生懸命×無我夢中 で生成された

一種の無我の境地にある一生懸命さがそのような形で現れましたね。

 

大人になって本当に久しぶりです。

 

こんなにも無我夢中で真剣に物事に取り組めたのは。 

 

まぁ、例えれば、一生懸命夢中になっている状態でオーラ(自分しか見えない)が出ているのは、須佐之男命(すさのお)の霊がオーラにあたり、どんどんその須佐之男命の状態が一定時間(竹刀を振っているとき)保たれたのでしょう。そして、終いに須佐之男命が消えたと考えられるのです。

 

須佐能乎 - Twitter Search / Twitter

      須佐之男命(スサノオ) これを身にまとっていたとは…。

 

剣道の稽古中の無我夢中状態

 

 

 

つまり、大人の自分が無我夢中で一生懸命運動に没している際は、自分でも新発見に近いくらい妙な現象を体験したということでしょう。

 

その分、体力を20%しか残せずも、私はこう思いました。

 

「そうか、剣道に憧れ、その舞台にいる。それだけで自分が満足していて、今までの8回分の稽古は無我夢中どころか一生懸命さが3割で取り組んでいたのか!情けない。これからは一刻一刻を一生懸命さを倍にして取り組まねば精進できない!」

 

そんなことを思いながらも、一歩自分の剣道に進めたという感覚もありましたね。

 

ま、長くなりましたが、次回の剣道の稽古録、何卒宜しく見守って頂けたら幸いです。

 

今回は以上です。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。