どぉも、こんつくわー。
河西です。
はぁ、あっという間に7月も折り返し。
あれ?そういえば、前もですが、今年も折り返しているんですよね…?
ああ、老けた、老けた。
ホント、年とるだけやん、人生…。
みーんな、お金から始まって、家族やら、恋人やら、社会人やらで、とどのつまり世の中、何が楽しい……?
私は、今からさかのぼってもはっきりと記憶している事柄があります。
それは、私の18年前の中学時代、担任の先生が、ある日、道徳の授業にて…。
こんなテーマを掲げてたなぁ。
【自分以下を求める心】
何らかの新聞記事から引用してはったんですが、どうも先生もかなりこの記事に注目されておったような…。
んまぁ、【自分以下】って大概の意味は自分と身分や位が同じか、自分よりそれらが劣っているってことだろな。
当時の新聞記事は見つからなかったですが、それに酷似した資料がございます。
題して【同和教育】 って初耳ですな。
自分以下を求める心
あれは、小学校二年生のことです。私たちのクラスに、よくいじめられる女の子がいました。
私も、他の人たちと一緒に、いじめては笑っていました。その頃の私の気持ちは、「自分以下の存在が欲しかった」のだと、今になって気づきます。あの時あの子が、もし自分だったらと思うと、今までいじめた人に対して、あやまらなくてはなりません。
自分をみがく努力もしないで、ただ自分以下が欲しいだけでいじめるのは、やっぱり差別ですね。いろいろな差別について、たくさんのことを勉強してきた私ですが、実際の生活ではそれをまるで生かしていませんでした。なんか今、考えてみると、「なぜあの時、あんなことをしたんだろう」と思ってしまいます。
思っているだけ、悪いと知っているだけでは、すぐポロッと言ってしまって相手を傷つけたり、がっかりさせたりしてしまいます。
どうして私はこうなんだろう。やっぱり、自分以下が欲しいという気持ちが心の底にあって、それが作用しているのでしょうか。
私は、自分以下がいらない人間になりたいです。そのために自分の生活にまじめにぶつからなくてはなりません。こう考えてくると、ひとのことを、とやかくいわない生き方は大切なことなんですね。立派な人の証明なんですね。身のまわりを見ても、努力しない人ほど、他人を傷つけたり、とやかく言ったりしています。まるで魅力のない生き方ですね。その中に私もいるかと思うと、恥ずかしくなります。
自分以下などいらない生き方をつかむことが差別やいじめをなくすことだと、だんだんわかってきました。
学校でやっている「自分新聞」や「生活の記録」、これなども、何枚も何冊も挑戦している人は、他人のことなどイヤミをいっている暇はないですからね。
私たちは、得意もあれば不得意もあります。すべてをかっこよくやることはできません。だのに、人の小さな欠点を探し出して、いじめたり、自分をすぐれていると思い違いしたりするのは、恥ずかしいことですね。ねっ先生、とっても恥ずかしいことですね。私は今まで、人間として恥ずかしい生き方をしてきたのです。何べんも、何べんも、まちがったことをしました。
だから、他の人が私をいじめた時、そのまちがいがはっきりわからなかったのです。
うーーーん。読んでいるだけで、私のうちにいる闇が声を上げて喘いで泣いておりますなぁ。
これってさ、なにも、カッコいいとかじゃァないですやろ…?
一番エエとこって、「努力しない人ほど、他人の粗探しをしてる」っちゅうとこで、次が「努力もしないで、ただ自分以下が欲しいだけでいじめるのは、やっぱり差別」でしょうね。
んんん。
当時のその先生の授業は未完成なまま終わってしまったんです。確かこのことについて感想文を書くことだけ…でスルーされてまして。
んじゃァ、本題は?先生はこれを取り上げて何を教えたかったのか?
多分こんなこと。
人間は、生きていく中で、自分より劣った存在を見つけては安心する。
人と比べて何を持っているか、何ができるかで自分の心を支えている。
人間は差別することがよくないと知っていても、その心の中には【自分以下を求める心】を持って生きている。自分以下を求めないと生きられない、その愚かな心によって生かされてきた。
卑屈な、自信のない、常に他者と比べて少しの上位な、ささやかな優越感で自分の心を支える。
世の中の大多数の人間がそう思っているのでは。そして、自分は「差別なんかしていない」と思っているはずですやろ?
でも、世の中には「差別はある」「差別をしている人間はいる」と思ってもいるはず。この矛盾に気づかずに人はフツーに生きている。
ほんの少し目線を変えてみればわかる。(→これをリフレーミングという)
自分が差別をするかしないかの問題ではなく、社会に存在する差別をどうすれば解決できるか、解決することが目的なのだと。
「差別」という重い言葉ではなく、【自分以下を求める心】が心の片隅に眠ってはいないかを問い続ける。
これさ、「差別」とか、「格差社会」とかの根本論理じゃない?
誰かと比べるより、自分は自分だ。
ってのを、教育観点から必須要件な気がします。
ハイ。
とりあえず、今日はここまで。
ここまでご高覧頂きありがとうございました。
では、また次回!