おはようございます。
朝っぱらからブログ書いている河西です。
今回は「3年A組、あなたたちは人質です」の最終回をみて、今のSNSをちょこっとだけ混ぜて考えながら書いていきます。最後までお付き合いお願いします。
ドラマの主人公、柊先生は自分の生徒を人質に取った。
それはフェイク動画を作って、SNSへの暴力を世に知らしめるためだった。
2日目から9日目までフェイク動画の内容を少しずつ変えていった。
それに対し、世間の大衆は、自分の意見を子供のように責任転嫁で繰り返してきた。
いかに自分たちが不確かな情報に踊らされているか?
どれだけ意見を変えた?
それは、心無い行為を自殺に追い込んだ主な要因。
まわりに流されて意見に合わせることしかしないし、親や友人に言わず、たいして知りもしない人に自覚のない悪意(何千何万と悪意にまみれたナイフ)で言葉の暴力が発生。いや、暴力装置以前に、心無い、重く、鋭いナイフを作り上げた。
ただ、そういったものが間違いだったと理解されていれば、二次災害を防げた。
このSNSで正当化するのに必死で、ストレス発散を見ず知らずの他人の道具にするなよ。
偏った正義感で人の命を奪えてしまう、たぶん物理的に殺すより、はるかに容易で悪意にまみれた精神的ダメージを、柊先生の教え子に与えてその子を自殺させた。
教え子を亡くした先生は、SNSの使い方をこう訴えた。
「まずは自分を律して磨いて作っていく この方が愉しいだろ もっと他人に優しくしようぜ 自分を大切にしようぜ」
Let’s think!
この辺でかなり涙目でしたね。
私の意見は、今ではTwitterは炎上しにくくなってきている。
だが、コロナ禍である以上、また、誰かが自殺するかもしれない。
やっぱり、人とのつながりは無しでは生きていけないし、多種多様な意見がないと、
「人間は考える葦である:人間は頭を使って考えることができる。 考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」
あとは、三人居れば文殊の知恵や十人十色……。