本記事は、本ブロガーの、戦争 (終わりなき戦争) についての考察を 執筆させていただきます。
現在、いや、第一次、第二次世界戦争から今の中東イスラエルとハマスの破壊と殺戮、人質において、3か月も続いた、互いの陣地争いの兆しが見えないことから書いていきます。
結論上、戦争はある一つの考えで終わる気がしております。
その考えとは、……「戦争を始めた側に応戦しないこと、無視することです」
この考えのきっかけはある漫画のキャラクターの一言でした。
貸しがあろうが借りがあろうが戦争なんて始めた瞬間からどっちも悪だよ。
そう、「どっちも悪」。なら、片方が仕掛けた攻撃を無視すればいいんです。そうすれば「戦争を始める」は成立しませんよね。
例えばA国が仕掛けてきた攻撃(核弾頭ミサイルなど)をB国がその攻撃を無視して応戦せずに一定期間A国は攻撃し続けるでしょうが、それをB国をA国側が無視(極論)およびしのげば、A国は自分の国がB国に攻撃しても無駄だな、と気づけばおのずとてを退くでしょう。
要は売ってきた相手の喧嘩を買わずに無視していればいいんです。
ということで「戦争は始まらなければどっちも悪でない」
の結論に至ります。
ただ、この場合は、攻撃を受けるB国はやられるばかりで占拠、人質、貧困、死亡者が何万と出ます。
その対策案を考えるのが賢い社会なのではないでしょうか?
私なら、「仮(空)のB国を創る。それで見破られなければ戦争なんて起きません。どういうことかといいますと、B国=日本としましょう 日本の建造物は被害にあっても日本国民は5%程度の死傷者で済、95%は地下深くの核シェルターに閉じ篭もって入れればいいんですよ。
ただ、この点においても倫理観からして攻撃を受けて被害を被るのは、
建造物か、国民か、どちらが重要かという点です。
自分の親、友達、先生、恋人など人的被害を選ぶか、空(から)の日本を創らずに人的被害より建造物(自宅マイホーム、病院、学校、商業施設など)を選ぶか どちらになったらいいでしょうか?
そこも、これから戦争ゼロ世界にして平穏無事な社会で暮らせるようにするために、老衰していく過去の戦争経験者の意志を受け継いでいくためにも喫緊の課題だと私は思います。
最後に「見破られたら」について考えますと、応戦したら戦争なので、自然災害として30%の被害(人的にも建造物にも)に抑えられて済む、と憶測ですが私の個人的な考えの一つです。
果たして、日本は誰一人表に出ていない(攻撃を仕掛けてきた国が虚しさを覚えるほど)空っぽの状態にできるか?
はたまた、死傷者や建造物の破壊が少なからず出ても応戦せず、避難できるか。
いずれも応戦しないのが戦争のきっかけをつくらない、キーポイントでしょう。
以上が私なりに考えた戦争についてでした。
私の論じてきた内容にコメントなどくだされば幸いでございます。
ここまでご高覧頂き、誠にありがとうございます。
では、また。