西翔記(さいしょうき)

私の日々の生活での記録、記憶書(アウトプット)の場です。

命 と 刀 

河西です。

こんにちは、こんばんわ、おはようございます。

いつでも対応できるような挨拶を並べました。

 

これを書こうとしても、時間がありませんでしたので、やっと今書けております。

 

さて、いきなり質問です。

 

命って? 生きる意味、死んでいく運命で、蘇りはしない。

なんで生きているの?私たちは。

 

おそらく永遠にはっきりした、答えはありませんでしょう。

 

なんせ生きるために、働き、食い、飲み、排泄をして、それとともに人間でしかしない、このコミュニティ(現代社会)で暮らしてる。

 

時折思う。

生きてるだけで丸儲け。いえ、生きているだけで済むのか。

自分の存在価値などあるのか。

 

それは、死にたくない願望だけが無意識に働き、そのために周りに自分が生きている証を遺す。

だから生きるのであり、自分の価値を会得し、死を遠ざけようとする。

 

某アニメ作品ではこのような言葉も・・・。

終わりの無い生は生といえるのか?


死んでいないことを生きていると言うのなら、その死すらなくなった生は生といえるか?
それは虚。生も死もない、ただの虚無。


苦しみが続いたとき人は願う、終わりが来ることを。


でも幸せな時もそれが永遠なら人は願う、終わりが来ることを。

 

今は理解できても心は生を望んでいる。

だがしかし、人は永遠が嫌いらしい。

 

私も手塚治虫文庫の「火の鳥」を読み、四巻目でパタッと本を閉じ哭き嘆いた覚えがあります。

それが「不老不死」の恐ろしさ。

 

無論永遠に生きていても、悲しみと苦しみに彩られた生が来るのは必定かと。

 

それを私の三年前は強く感じました。

 

そして、一昨日から「火の鳥」を続きから読むことにしました。

私が最近誕生した日付以来から。

 

で、なぜか、4~6巻は何もメンタルは変わらず、欠けることのない私の心でした。

 

欠ける?

最後に、ですが。

 

私の心の中、信念には一本の刀があります。

その刀は青く強く燃え上がる炎の如く力強く私を奮い立せます。

 

私の刀が欠けても、磨くだけ、鍛錬するだけ、諸刃の剣でも。

もし折れたら、その刀が柄ごと折れたら、私は逝去しているでしょう。

 

生きて、生きて、生を全うするのが生物の義務。

 

それを放棄したら…。

 

古いですがこんな曲が好きになりました。


Aqua Timez 『生きて』 Music Video

 

今回はここまで。

 

ではまた。

あ、Twitter幽霊状態です(笑)